「一杯」って、どのくらい?

「コーヒーは一杯につき10gくらい使います」

「少し粗めに挽いてください」

「低めの温度で淹れてみてください」

「早めに飲んでください」

コーヒーについて話していると、こうした言葉をよく使います。

どれも、それほど難しい言葉ではありません。

でも、よく考えてみると少し不思議です。

一杯って、何mLでしょう。

少し粗めって、どのくらいでしょう。

低めって、何℃でしょう。

早めって、いつまででしょう。

普段は何となく通じている言葉でも、実際に比べたり、同じことを再現したりしようとすると、急に曖昧さが見えてきます。

「一杯」は、決まった量ではない

「コーヒーを一日3杯飲む」

と言われれば、意味はだいたい分かります。

ところが、その3杯がどのくらいの量なのかは分かりません。

小さなカップかもしれません。

150mLくらいかもしれません。

大きなマグカップなら、もっと多いかもしれません。

同じ「一杯」でも、実際に飲んでいる量は違います。

さらに、

「一杯分のコーヒー豆」

となると、今度は豆の量も関係します。

8gなのか。

10gなのか。

15gなのか。

「一杯」という言葉だけでは、液体の量も、使った豆の量も決まりません。

それでも普段の会話では、

「朝、コーヒーを一杯飲んだ」

で困ることはほとんどありません。

ここが大事です。

曖昧な言葉だから、悪いわけではありません。

その会話では、それ以上の正確さが必要ないだけです。

「粗い」と「細かい」にも境界線はない

コーヒー豆の挽き方では、

粗挽き。

中挽き。

中細挽き。

細挽き。

といった言葉を使います。

便利な分類です。

でも、

「ここから0.1mm大きくなったら中挽きから粗挽きになる」

というような、誰にでも共通する絶対的な境界があるわけではありません。

店や器具、グラインダーによって表現が違うこともあります。

ある人の「中細挽き」が、別の人には「中挽きくらい」に見えることもあります。

では、

「少し粗くしてください」

とは、どのくらいでしょう。

これも、前の状態が分かっている人同士なら通じます。

今より少し粗く。

昨日より少し細かく。

このように、比較する相手を共有していれば、かなり曖昧な言葉でも使えます。

ところが初めて使うグラインダーで、

「少し粗めに」

と言われても困ります。

何に対して粗いのかが分からないからです。

「低めの温度」は何℃?

「深煎りは少し低めの温度で淹れる」

こんな説明もよくあります。

ここでも「低め」が登場します。

85℃でしょうか。

90℃でしょうか。

それとも80℃でしょうか。

そもそも、何℃と比べて低いのでしょう。

普段95℃で淹れている人なら90℃は低めです。

普段85℃なら、90℃はむしろ高めです。

つまり、

高い・低いという言葉には、比較する基準が必要です。

これは温度だけではありません。

粗い・細かい。

早い・遅い。

濃い・薄い。

多い・少ない。

新しい・古い。

こうした言葉は、何かとの比較によって意味が生まれます。

「抽出が早い」は何秒?

ドリップをしていて、

「今日は落ちるのが早いな」

と感じることがあります。

いつも3分くらいかかるものが、2分で終わった。

それなら「早い」という意味はかなり分かります。

では、初めてそのコーヒーを淹れた人から、

「2分30秒で落ちたんですけど、早いですか?」

と聞かれたらどうでしょう。

2分30秒という数字だけでは判断できません。

豆の量。

湯量。

挽き目。

ドリッパー。

注ぎ方。

そして、どんな抽出を目指しているのか。

条件によって意味が変わります。

同じ2分30秒でも、

あるレシピでは早い。

別のレシピでは普通。

さらに別のレシピでは遅い。

ということもあります。

数字があれば、自動的に意味まで決まるわけではありません。

「早めに飲んでください」は、いつまで?

コーヒー豆の説明では、

「開封後は早めにお飲みください」

という表現もよく使われます。

では、「早め」とはいつでしょう。

3日でしょうか。

2週間でしょうか。

1か月でしょうか。

書いた側には、

「なるべく風味が良いうちに」

という意図があるのでしょう。

読む側にも、そのくらいの意味は伝わります。

だから日常的な案内として間違っているわけではありません。

ただ、

「焙煎後、何日くらいまでなら同じような風味なのか」

「保存方法によってどう違うのか」

「いつから変化を感じるのか」

を比べようとすると、「早め」だけでは足りなくなります。

そこで、

焙煎日。

開封日。

保存方法。

飲んだ日。

などを記録する必要が出てきます。

「早め」という言葉が間違っていたのではありません。

知りたいことが細かくなったので、必要な情報も増えたのです。

「濃いコーヒー」も意外と難しい

「濃いコーヒーが好き」

これも普通に使う言葉です。

でも、「濃い」が何を指しているのかは人によって違います。

苦味が強い。

深煎り。

豆をたくさん使っている。

液体中に溶けている成分の濃度が高い。

口当たりが重い。

香りが強い。

こうしたものをまとめて「濃い」と表現していることがあります。

日常会話なら、それでも十分です。

ところが、

「昨日より濃くなった原因を調べたい」

となると話が変わります。

何が濃くなったのでしょう。

ここを分けなければ、原因を探すことができません。

言葉は、だいたいを共有するのが得意

ここまで見ると、

「じゃあ全部数字で表せばいい」

と思うかもしれません。

でも、それも少し違います。

店頭で、

「前回よりほんの少し粗めに挽いてください」

と言われたときに、

「粒度を数値で指定してください」

と返していたら、コーヒーを買うだけで小さな研究発表が始まってしまいます。

普通の会話では、

粗め。

少し。

熱め。

たっぷり。

早め。

といった言葉がとても便利です。

人間は、すべてを数値にしなくても、前後の状況から意味を補いながら会話できます。

曖昧な言葉には、曖昧だからこその使いやすさがあります。

でも、比べるときには基準が必要になる

問題になるのは、

比較したいときです。

昨日と今日を比べる。

自分と別の人を比べる。

違うコーヒーを比べる。

違う器具を比べる。

去年と今年を比べる。

誰かに同じことを再現してもらう。

こうなると、

「少し粗め」

「ちょっと低め」

「いつもより早い」

だけでは情報が足りなくなります。

そこで数字や基準が必要になります。

豆15g。

湯240g。

湯温90℃。

抽出時間2分30秒。

グラインダーの設定値。

焙煎後7日。

このように条件を記録すれば、比較しやすくなります。

数字にすれば、絶対になる?

では、

「グラインダー5番」

と書けば、挽き目は完全に伝わるでしょうか。

残念ながら、まだ終わりません。

別のグラインダーの5番とは違います。

同じ機種でも、刃の状態や調整によって差が出ることがあります。

「90℃」も同じです。

ケトルの表示温度なのか。

注ぐ直前に測った温度なのか。

コーヒー粉に触れたときの温度なのか。

どこを測った数字なのかで意味が変わります。

抽出時間も、

最初に湯を注いだ瞬間からなのか。

蒸らし後からなのか。

最後の一滴までなのか。

測り方が違えば数字も変わります。

つまり、

数字にも、その数字が何を表しているのかという約束が必要です。

基準とは、正解を決めるものだけではない

「基準」という言葉を聞くと、

正しいものを決める線。

合格と不合格を分ける線。

という印象があるかもしれません。

でも、基準にはもう一つ大切な役割があります。

同じものについて話せるようにすることです。

「粗い」だけではなく、

「このグラインダーのこの設定より粗い」。

「早い」だけではなく、

「前回3分だったものが今回は2分30秒」。

「低い」だけではなく、

「前回93℃だったものを今回は88℃」。

こうすると、何が変わったのかを共有できます。

基準は必ずしも、

「これが正しい」

と決めるためだけにあるわけではありません。

違いを見るための物差しにもなります。

必要な精度は、目的によって変わる

友人に、

「今日コーヒー何杯飲んだ?」

と聞かれたなら、

「3杯」

で十分でしょう。

カフェイン摂取量を調べたいなら、

一杯ごとの量やコーヒーの種類まで知りたくなります。

抽出を再現したいなら、

豆量、湯量、温度、時間、挽き目などを記録します。

研究として比較するなら、さらに条件を揃える必要があります。

同じ「コーヒー一杯」でも、

何を知りたいのかによって、必要な正確さが違うのです。

だから、いつでも細かく測ればいいわけではありません。

逆に、何でも「だいたい」で済ませていいわけでもありません。

「一杯」で十分なときと、足りないとき

「一杯」という言葉は曖昧です。

でも、曖昧だから使ってはいけないわけではありません。

「粗い」も、

「低め」も、

「早め」も、

「濃い」も同じです。

大切なのは、

その言葉で、今の目的に必要なところまで伝わっているか。

です。

伝わっているなら、そのままでいい。

比べられないなら、基準を加える。

再現できないなら、数字や条件を加える。

それでも足りなければ、何を測った数字なのかまで決める。

そうやって必要に応じて精度を上げていけばいいのです。

「一杯って、どのくらい?」

簡単な質問のようですが、その答えは、

「○mLです」

だけではありません。

何のために、その量を知りたいのか。

そこが決まって初めて、どこまで正確に決めればいいのかも決まります。

言葉を数字に置き換えることが目的なのではありません。

違いを見たいときに、同じ物差しを使えるようにする。

それが、基準を決める理由の一つです。