基準、決めたのは何のためだったか?

コーヒーを淹れるとき、

豆は15g。

湯は240g。

湯温は90℃。

抽出時間は2分30秒。

そんなふうに基準を決めることがあります。

焙煎でも同じです。

温度。

時間。

火力。

排気。

色。

香り。

ハゼのタイミング。

何度も繰り返す仕事ほど、基準が増えていきます。

基準があると便利です。

昨日と今日を比べられる。

違う人が作業しても、ある程度同じところから始められる。

何かがおかしいときにも、いつもと何が違うのかを探しやすくなります。

ところが、長く使っていると少し不思議なことが起こります。

いつの間にか、

基準を守ること自体が目的になってしまう。

でも、その基準。

そもそも、何のために決めたのでしょう。

最初から基準があったわけではない

たとえば、コーヒーを淹れてみたとします。

昨日はおいしかった。

今日は少し違った。

では、何が違ったのでしょう。

豆の量かもしれません。

湯の量かもしれません。

温度かもしれません。

挽き目かもしれません。

抽出時間かもしれません。

全部が毎回違っていたら、原因を考えるのは難しくなります。

そこで、

「まず、この条件でやってみよう」

と決めます。

豆15g。

湯240g。

90℃。

2分30秒。

これが基準になります。

つまり最初の目的は、

その数字を守ることではありません。

違いを見つけやすくするために、いくつかの条件を決めたのです。

比べるために決めた

基準があると、比較できます。

前回は2分30秒。

今回は2分10秒。

前回は90℃。

今回は85℃。

数字そのものに良い悪いがあるわけではありません。

でも、同じ物差しで見れば、

「20秒違った」

「5℃違った」

と分かります。

「今日はちょっと早かった」

「少し温度が低かった」

だけより、違いがはっきりします。

基準の一つ目の役割は、

違いを見るための物差しを作ること

です。

再現するために決めた

うまくいったときにも、基準は役立ちます。

「昨日のコーヒーがおいしかった」

だけでは、今日もう一度作るのは難しい。

でも、

どの豆を何g使ったか。

どのくらいの湯を使ったか。

どの温度だったか。

どのくらいの時間だったか。

が残っていれば、同じ条件に近づけることができます。

完全に同じになるとは限りません。

コーヒー豆も変化します。

室温も湿度も違います。

器具の状態も変わります。

人間の動きだって毎回完全には同じになりません。

それでも基準があれば、

戻ってくる場所

を作ることができます。

基準の二つ目の役割は、

うまくいったことを、もう一度試せるようにすること

です。

判断するために決めた

違いが分かっただけでは、仕事は終わりません。

「いつもより抽出が早い」

と分かった。

では、どうするのでしょう。

そのままでいいのか。

挽き目を変えるのか。

豆量を変えるのか。

注ぎ方を見るのか。

何かを判断する必要があります。

ここでも基準が使われます。

「このくらいの違いならそのまま」

「ここまで外れたら確認する」

「この状態なら調整する」

と決めておけば、観察した結果を次の行動につなげられます。

これは焙煎でも同じです。

いつもと温度の進み方が違う。

ハゼのタイミングが違う。

香りの変化が違う。

そこで、

「違った」

だけで終わらず、

その違いを見て、どうするかを決める。

基準の三つ目の役割は、

判断するためのよりどころを作ること

です。

人と共有するために決めた

自分一人なら、

「いつもの感じ」

でも仕事ができることがあります。

毎日やっていれば、

「このくらい」

「もう少し」

「ちょっと早い」

でも分かります。

問題は、それを別の人に伝えるときです。

「いつもより少し粗く」

と言われても、初めて作業する人には「いつも」がありません。

「ちょうどいいところで止めて」

と言われても、「ちょうどいい」が共有されていません。

そこで基準を作ります。

数字。

写真。

色。

時間。

状態。

手順。

こうしたものを使って、

「私が言っている『このくらい』は、これです」

と共有する。

基準の四つ目の役割は、

自分の中にある判断を、ほかの人も使える形にすること

です。

基準を使っていると、足りないものが見えてくる

基準そのものを、より細かくしていくことです。

しかも、ここには別の2方向があります。

基準の解像度を上げる

たとえば最初は、

「抽出時間は3分くらい」

で十分だった。

ところが比較を続けていると、

「2分50秒と3分10秒では違いが出る」

ことに気づく。

すると、

「3分くらい」
↓
「2分50秒〜3分10秒」
↓
「基準3分、±10秒を目安にする」

のように、同じ「時間」という項目を細かく見られるようになります。

これは項目を増やしたのではなく、一つの基準の解像度を上げたわけです。

焙煎ならもっと分かりやすい。

最初は、

「1ハゼが何分だったか」

だけ記録していた。

そこから、

「1ハゼ開始時刻」
「そのときの温度」
「そこまでの進み方」

まで見るようになる。

さらに温度も「だいたい200℃」から0.1℃単位まで記録することはできます。

ただし、ここで問題が出ます。

細かく記録できることと、その細かさに意味があることは別です。

センサーの精度や再現性が1℃程度なのに0.1℃の違いを議論しても、数字だけ立派になって実物が追いついていません。

解像度は、高ければ高いほど良いわけではない。

目的に必要なところまで上げる。

これが重要です。

見る項目を増やす

もう一つは、解像度とは別です。

抽出時間だけ見ていたけれど、どうも同じ3分でも味が揃わない。

そこで、

豆量
湯量
湯温
挽き目
抽出時間

を見るようにする。

さらに必要になれば、

焙煎後日数
湯の状態
注湯方法
液量
濃度

などを加える。

これは一つの基準を細かくしたのではありません。

観察する項目を増やしたわけです。

この区別はかなり重要ですね。

たとえば、

「抽出時間を1秒単位で記録する」

のは解像度を上げること。

「抽出時間だけでなく湯温も記録する」

のは項目を増やすこと。

似ていますが、やっていることは違います。

そして、どちらにも限界がある

ここがこの記事らしいところです。

うまくいかないと、人は数字を細かくしたり、測定項目を増やしたりします。

3分では分からないから、3分05秒まで記録しよう。

それでも分からないから、温度も測ろう。

湿度も。

豆の温度も。

粒度も。

水分も。

気圧も……。

やろうと思えば、項目はいくらでも増やせます。最終的にはコーヒーを淹れるより記録する方が忙しくなる。文明のありがちな終着点です。

だから問うべきなのは、

「もっと測れるか」ではなく、「何を知るために測るのか」

です。

これは「基準、決めたのは何のためだったか?」というタイトルにかなり深くつながります。

本文には「基準を見直す」の前あたりに、

基準を細かくすれば、もっと分かる?

という節を追加するといい。

そこで、

基準の解像度を上げる
「3分くらい」→「3分±10秒」

と、

基準にする項目を増やす
「時間」→「時間+温度+豆量+湯量+挽き目」

を分ける。

そして最後に、

基準を細かくすることも、項目を増やすこともできます。
でも、それ自体が目的ではありません。

必要なのは、今知りたいことを判断するために、どの程度の解像度と、どの項目が必要なのかを決めることです。

測れるものを全部測るのではなく、目的から必要な基準を選ぶ。

まで持っていく。

さらに面白いのは、これを繰り返すと、

目的 → 項目を決める → 基準を決める → 観察する → 足りなければ解像度を上げる/項目を増やす → 判断する → 基準を更新する

になります。

これで「基準」は固定された線ではなく、観察の精度そのものを更新していく仕組みになります。

ところが、基準はだんだん目的に見えてくる

ここから少しややこしくなります。

最初は目的がありました。

おいしいコーヒーを安定して淹れたい。

だから抽出条件を決めた。

焙煎を再現したい。

だから温度や時間を記録した。

スタッフと判断を共有したい。

だから作業基準を作った。

ところが、その基準を長く使っていると、

「90℃にする」

「2分30秒にする」

「この温度でハゼを迎える」

こと自体が目的のように見えてきます。

そして基準から外れると、

「失敗した」

と考え始めます。

でも、本当にそうでしょうか。

基準から外れたのに、おいしかったら?

いつも90℃で淹れているコーヒーを、たまたま87℃で淹れた。

飲んでみたら、こちらの方が好みに合っていた。

このとき、

「基準は90℃だから失敗」

として90℃に戻すこともできます。

でも、もう一つ考え方があります。

なぜ90℃にしていたのだろう。

ここに戻ります。

目的が、

「必ず90℃で淹れること」

だったのでしょうか。

それとも、

「狙った味を安定して作ること」

だったのでしょうか。

後者なら、87℃という結果は失敗ではありません。

新しい情報です。

基準から外れたら、まず戻す?

仕事では、基準から外れたものを元に戻すことが必要な場面もあります。

毎回勝手に条件を変えていたら、比較も再現もできなくなります。

だから、

「基準から外れたら、いったん基準に戻す」

という考え方には意味があります。

ただし、それだけを続けていると、

基準そのものがおかしくなっていても気づけません。

何度も同じ方向に外れる。

基準外の方が結果がいい。

材料や設備が変わった。

お客様の求めるものが変わった。

こうしたことが続くなら、

「どうやって基準に戻すか」

だけではなく、

「この基準は、今も必要なのか」

を考える必要があります。

基準を変えるのは、基準を否定することではない

以前は90℃がよかった。

今は88℃の方が目的に合う。

それなら基準を変えてもいい。

これは、

「昔の90℃は間違っていた」

という意味ではありません。

当時の豆。

当時の焙煎。

当時の器具。

当時の目的。

その条件では90℃が役に立っていたのかもしれません。

条件が変われば、基準が変わることがあります。

目的が変われば、基準が変わることもあります。

だから、

基準が変わったことと、以前の基準が間違っていたことは同じではありません。

では、基準はいつ見直す?

基準から外れるたびに変更していたら、基準の意味がなくなります。

一回うまくいったから変更。

一回失敗したから変更。

これでは、ただ結果に振り回されているだけです。

まず基準を使う。

観察する。

違いを記録する。

同じようなことが何度も起きるのかを見る。

条件を変えて確かめる。

そのうえで、

「こちらの方が目的に合っている」

と判断できたなら、基準を更新する。

つまり、

基準を持つことと、基準を疑うことは両立します。

むしろ、基準があるからこそ、変化を確かめることができます。

基準がないと、基準が間違っていることも分からない

少し変な話ですが、ここは重要です。

最初から何も決めていなければ、

「いつもと違う」

こと自体が分かりにくくなります。

違いが分からなければ、

なぜ違ったのかも考えにくい。

結果が良くなったのか悪くなったのかも比べにくい。

そして、

今まで使っていた方法を変えた方がいいのかも判断しにくい。

基準は、固定するためだけにあるのではありません。

変化を見つけるためにも必要です。

そして変化が見えれば、

基準そのものを見直すこともできます。

「基準だから」では、理由にならない

「なぜ90℃なんですか?」

「基準だから」

これでは話が一周してしまいます。

本当に知りたいのは、

なぜ、その基準を決めたのか

です。

比較するためだったのか。

再現するためだったのか。

判断するためだったのか。

人と共有するためだったのか。

そこが分かれば、基準を守るべき場面と、見直していい場面も考えやすくなります。

基準、決めたのは何のためだったか?

基準を決めると、仕事は楽になります。

迷うたびにゼロから考えなくて済みます。

人にも伝えやすくなります。

結果も比べやすくなります。

だから、一度決めた基準を使い続けることには意味があります。

でも長く使っているほど、ときどき最初に戻ってみる。

この基準、何のために決めたんだっけ?

比較するため。

再現するため。

判断するため。

共有するため。

その目的に、今も役立っているなら使い続ければいい。

役立たなくなっているなら、なぜなのかを確かめる。

そして必要なら更新する。

基準は、守るために作ったものではありません。

目的を達成するために作ったものです。

だから基準を見るときには、数字だけではなく、その後ろにある目的まで見る。

基準から外れたときも同じです。

すぐに「正しい位置へ戻す」のではなく、

そもそも、どこへ行くためにこの基準を決めたのか。

そこまで戻って考えると、基準は人を縛るルールではなく、考えるための道具になります。