考えが変わることは、悪いこと?

前は、こう思っていた。

でも今は、少し違う。

そんなことがあります。

コーヒーでも、

「深煎りの方が好きだと思っていた」

「この淹れ方が一番いいと思っていた」

「この数字になれば大丈夫だと思っていた」

という考えが、あとから変わることがあります。

すると、

「前は間違っていたのかな」

と思うかもしれません。

でも、

考えが変わったことと、前の考えがすべて間違っていたことは同じではありません。

前にそう考えたときには、

そのとき見えていたものがあります。

そのとき知っていたことがあります。

そのときまでに経験したことがあります。

その中で考えた結果が、

「こうだと思う」

だったのかもしれません。

そのあと、

違うコーヒーを飲んだ。

違う方法を試した。

誰かの話を聞いた。

新しいことを知った。

前とは違う結果が出た。

そうすると、

今までの考えだけでは説明できないものが出てきます。

そこで、

「もしかすると、前に考えていたことは、いつでも当てはまるわけではないのかもしれない」

と考えることができます。

これは、

前の考えを捨てることとは少し違います。

たとえば、

「この淹れ方がおいしい」

と思っていたものが、

「この豆では、この淹れ方が好き」

に変わる。

さらに、

「こういう味にしたいときには、この淹れ方が使いやすい」

に変わる。

最初より、答えが曖昧になったようにも見えます。

でも実際には、

どんなときにその考えが使えるのかが、少し詳しくなっています。

一つの答えがなくなったのではなく、

条件が見えるようになったとも考えられます。

反対に、

一度決めたことを変えない方が、しっかりしているように見えることがあります。

「私はずっとこう考えている」

「昔からこの方法でやっている」

という言葉には、一貫しているような強さがあります。

もちろん、長く試した結果として変える必要がないこともあります。

でも、

変えないこと自体が正しいわけではありません。

新しい結果が出ても、

今までの考えに合わないから見ない。

違う意見を聞いても、

自分の考えと違うから間違いだと決める。

そうすると、

考えを守ることが目的になってしまいます。

一方で、

新しい話を聞くたびに考えを変えればよいわけでもありません。

誰かが新しい方法を紹介していた。

有名な人がそう言っていた。

新しい機械で数字を測れるようになった。

それだけで、

今までの考えが間違いになるわけではありません。

大切なのは、

何を見て、考えを変えたのか

です。

新しい結果が出た。

今まで説明できなかったことが説明できるようになった。

比べてみたら、別の方法の方が目的に合っていた。

何度か確かめても、同じような違いが見えた。

そうしたものが増えていけば、

今までの考えを見直す理由になります。

そして、

考えを変えたあとに、

また違う結果が出ることもあります。

そのときは、もう一度考えればいい。

「前の考え」

から、

「今の考え」

に一度だけ交換するのではありません。

見る。

比べる。

考える。

試す。

また見る。

その中で、

考えは少しずつ形を変えていきます。

コーヒーの味の好みもそうです。

昔は苦いコーヒーが好きだった。

今は浅煎りも好きになった。

だからといって、

昔の好みが間違いだったわけではありません。

また数年後には、違うものを好んでいるかもしれません。

好みだけではなく、

「良いと思うもの」

「大切だと思うもの」

「確かだと思うもの」

も、経験によって変わることがあります。

変わったことを隠して、

昔からそう考えていたことにする必要もありません。

「前はこう考えていた。でも、これを見て今はこう考えている」

と言うことができます。

むしろ、その間に何があったのかが分かれば、

なぜ考えが変わったのかを確かめることができます。

考えが変わったかどうかだけではなく、

何を見て変わったのか。

何を確かめたのか。

今はどこまで分かっているのか。

そこを見る。

考えを変えないことが、一貫しているということではありません。

新しく見えたものを含めて、もう一度考える。

そして必要なら、自分の考えを更新する。

それも、一つの一貫した考え方なのかもしれません。