分からないことは、悪いこと?

コーヒーを作っていると、理由が分からないことがあります。

同じように淹れたつもりなのに、味が違う。

同じように焙煎したつもりなのに、前回とは少し違う。

そんなとき、理由を知りたくなります。

豆が違ったのか。
温度が違ったのか。
時間が違ったのか。
それとも、別の何かが影響したのか。

原因が見つかることもあります。

でも、いつも答えが見つかるとは限りません。

それでも私たちは、分からないままにしておくことを少し不安に感じます。

そのため、

「たぶんこれが原因だ」

と、まだ確かめていないことを答えにしてしまうことがあります。

仮説を立てること自体は悪いことではありません。

むしろ、原因を考えるためには必要です。

ただ、

「こうかもしれない」と「こうだった」は違います。

分かっていることと、まだ分かっていないことを分けておく。

そうすれば、次に何を確かめればいいのかが見えてきます。

たとえば、

「温度が原因かもしれない」

と考えたなら、次は温度だけを変えて比べてみることができます。

結果が変われば、そこからまた考える。

変わらなければ、別の原因を考える。

そうやって少しずつ確かめていきます。

分からないことは、考えることを止める理由ではありません。

反対に、

「ここまでは分かっている。でも、ここからはまだ分からない」

と分けられれば、次に何を見るべきかがはっきりします。

分からないことを、無理に答えにしない。

それも、何かを知るための大切な出発点です。