コーヒーを何度も作っていると、
「このくらいにしよう」
という基準ができてきます。
豆の量。
お湯の量。
温度。
時間。
挽き目。
焙煎の進み方。
商品として求める味。
店舗で提供するなら、作業の手順や確認する項目を決めることもあります。
基準があると、毎回ゼロから考える必要がありません。
では、
基準に合わせることが、目的なのでしょうか。
たとえば、
「このコーヒーは3分で抽出する」
という基準を決めたとします。
基準があれば、
今日は2分30秒だった。
今日は3分10秒だった。
と、いつもとの違いに気づきやすくなります。
これは基準の大きな役割です。
基準があるから、違いが見えます。
ところが、
「3分にすること」
そのものが目的になると、少し話が変わります。
2分50秒でも狙ったコーヒーになっているのに、
「3分ではないから失敗」
と判断する。
反対に、3分ちょうどでも味が狙いから外れているのに、
「基準通りだから問題ない」
と判断する。
これでは、基準と目的の順番が逆になっています。
基準は、結果を判断するための道具です。
基準を守ったかどうかだけで、結果の良し悪しが決まるわけではありません。
焙煎でも同じです。
投入温度。
ボトム。
黄変。
1ハゼ。
焙煎時間。
終了温度。
RoR。
こうした数字を基準として持っていれば、いつもの焙煎との違いを見つけやすくなります。
「1ハゼがいつもより早い」
「この区間の温度変化が違う」
「同じ時間なのに、豆の色や香りが違う」
基準があることで、
何を見るべきかが分かりやすくなります。
しかし、
いつもの数字に合わせることだけに集中すると、
目の前の豆が示している違いを見なくなることがあります。
いつもより変化が速い。
それなのに、
「いつもこの時間に火力を変えるから」
と同じ操作をする。
基準を守っているように見えますが、
本来の目的から離れてしまうこともあります。
そこで、
基準から外れたときには、
すぐに元へ戻そうとするのではなく、
「なぜ違っているのか」
を見ます。
測定の違いなのか。
豆の状態が違うのか。
操作が違ったのか。
環境が違うのか。
それとも、基準そのものを見直した方がよいのか。
基準からのズレは、修正する対象であると同時に、観察するための情報でもあります。
基準には、もう一つ役割があります。
人と共有しやすくすることです。
「いつも通りに淹れてください」
では、人によって「いつも通り」が違うかもしれません。
粉を何g使うのか。
お湯をどのくらい使うのか。
どのような手順で淹れるのか。
どこを確認するのか。
基準を決めておけば、複数の人で同じ仕事をするときの出発点をそろえることができます。
ただし、
手順を決めれば、誰でも何も考えず同じ結果を出せるとは限りません。
豆の状態が変わることもあります。
ミルの状態が変わることもあります。
気温や器具の状態が違うこともあります。
そんなとき、
手順だけを守る人は、
「基準通りにやりました」
で止まります。
一方で、
基準が何のためにあるのか分かっていれば、
「基準通りにしたのに、結果が違う」
と気づくことができます。
そこから、
「何が違ったのだろう」
と考えられます。
基準は、判断をしなくてよくするためのものではありません。
判断するための共通の出発点を作るものです。
そして、基準そのものも固定されたものとは限りません。
実際に使ってみる。
結果を見る。
基準の範囲内なのに問題が起きる。
基準から外れているのに問題がない。
そうした結果が積み重なれば、
「この基準は本当に必要なのか」
「範囲を変えた方がよいのではないか」
と考えることができます。
基準を変えることは、基準を軽く扱うことではありません。
何のための基準なのかを確認して、より使える形に更新することです。
基準がなければ、違いを見つけにくい。
基準が強すぎれば、違いを見なくなる。
だから、
基準を作る。
基準と比べる。
違いを見る。
理由を考える。
結果を確認する。
必要なら基準を更新する。
という使い方をします。
基準は、「ここに合わせれば正しい」という線ではありません。
今の状態がいつもとどう違うのかを知り、次に何を判断するかを考えるための線です。
基準があるから、違いが見える。
そして違いが見えるから、基準そのものについても考えることができます。